What I think...

2005-12-28

今日はマジで怒っています。長いですしマジな話ですが、実体験した恐怖と怒りを忘れないために…。

起きた話を書く前に、まずはJR羽越線の特急「いなほ14号」の脱線事故、お亡くなられた方に謹んでご冥福をお祈り申し上げます。また被害にあわれました方にお見舞い申し上げます。

さて、新聞に載ることは無いだろう事件ですが、そんな脱線事故が起きているさなかに起きた。

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《俺目線の事件の経緯》
(時間については時計を見ている余裕は無かったため、推定です)
27日 23:30 上司や後輩と呑み終わり帰宅のため品川駅に行く。プラットフォームには普段より電車を待つ人が多くいる。私は東京方面でも帰れたが、新宿方面の方が近く、また他の3人が同方向のため、新宿方面の山手線に乗る。後ろから2両め(10番車両)の6ドアの車両に乗り込む。

同日 23:32ごろ 山手線到着。ただし、大崎行きのため見送る。ただし乗る人も大勢いる

同日 23:35ごろ 山手線乗車後かなりの混雑。社内の行き先案内板及び車掌の放送より、中央線神田駅で人身事故があったため、並走する山手線も遅れが出ていると判断。

同日 23:40ごろ 大崎駅到着。先に走っていた大崎行きの山手線から乗り換える人が多く、社内の混雑は相当なものになる。

同日 23:45ごろ 恵比寿駅到着。それまでの駅でも降りる人よりも乗る人が多く、上司と別れ後輩と2人で「きついなぁ」という雑談を交わす

同日 23:50ごろ 渋谷駅到着。多少は多いが、乗る人がかなり多く無理やり人を乗せて出発。

28日 00:00ごろ 原宿駅到着。あまりの混雑でドアが開かない。ただ、まだこのときは、埼京線でも同様のことがあるため、あまり気にしなかった。また、周りの乗客もこのころは「開かないよははは」という少し笑い声。

同日 00:03ごろ 原宿駅を出発しようとするが、乗っている車両のドアが閉まる音(カコーン、カコーン、カコーン)が5,6回鳴る。だが出発ができない模様。後輩が鳩尾が押さえられだいぶ苦しんでいた。また、窓が急激に曇りだす。この状況から「ちょっとヤバイ」と後輩に漏らす。

同日 00:05ごろ 電車は相変わらず出発しないが、乗客の息が急に荒くなり始める。自分も、混雑による圧迫とマフラーにより非常に息が苦しくなってくる。端にいたおばさんは非常に苦しそう。誰からも無く、『窓際に人、窓を開けてください』と言っていた。自分もヤバイと思って言っていたと思う。

同日 00:06ごろ 車内は非常に息が苦しく、窓が完全に曇っていた。プラットフォーム側の窓際にいた男性が『緊急コックを開けてください』と、逆側の窓際の人に依頼していた。

同日 00:07ごろ 非常コックは開いたが、扉が開かない。プラットフォーム側の窓際にいた男性が『少しだけ下がってください』とのことで少しの隙間を空けてようやく開く。開くと同時に窓際の若い女性がホームに倒れこむ。

同日 00:08ごろ 苦しさのあまり、自分も車外にでる。自分の乗っていた10番車両を見ると、今にも倒れるかというくらいに斜めになっている。駅員が抑えようとしていたが、そういう問題では無い。危険なため車内にいた人が少しづつ外に出る。

同日 00:09ごろ ホームに倒れていた女性の呼吸が荒い。駅員がとりあえずコートを枕にした。おばさんが頭元を抱えて励ましている。自分は女性のマフラーを取ってあげて足を伸ばしてあげる。乗客の何人か「誰か医者か看護婦はいないですかー?」「(駅員に)救急車を呼べ」

同日 00:12ごろ 駅員の救急車が期待薄のため、ちょんまげのお兄さん、携帯電話にて救急車を呼ぶ。サラリーマン2名くらい、「過呼吸だから誰かビニール袋持っていないか!」。サラリーマン、最初は紙袋で対応し、後ビニール袋にて女性に自分の息を吸わして過呼吸を抑える。

同日 00:14ごろ 電車の車掌が車内放送で「緊急コックを下げているところがありましたら、……」(必死だったため、詳細は聞けなかったが、要は電車を発車させたいらしいことを、ちょっとキレ気味か焦り気味で言っていた)

同日 00:15ごろ 離れていた上司と少し会話、「ヤバイですね」(これもあまり何て言ったか覚えてない)

同日 00:16ごろ 女性の過呼吸が収まってきたが、体が震えだす。非常に寒いため。サラリーマンの一人がコートをかける。メガネのお兄さん「(女性が)もう大丈夫そうですよね。みんなで見ててもしょうがないですので、散りましょう」と駅員に促す。

同日 00:17ごろ 山手線の次の電車が到着(乗ってきた電車はいつの間にか出発していた)。上司と後輩は電車に乗る。自分は苦しいためと、混雑の電車に乗りたくないため(少しの恐怖感)、それと女性を看るため(何もできんが…女性の荷物を持っていたので)、残る。

同日 00:19ごろ 駅員がようやく毛布を持ってくる。女性の頭元のおばさんがずーっと励まし続けている。ちょんまげのお兄さんは「JRの駅員の対応ぜんぜん良くないよ!」とキレ。俺もそう思うが、非常に冷静でいた(上記記憶が残っているくらい)。

同日 00:21ごろ 山手線の次の電車が来るが、これもパス。まだまだ寒がっているのでコートをかけようとしたが、おばさんに「もうそろそろ来るから」と止められる。

同日 00:23ごろ 上にいた黒コートのサラリーマンの人から、「救急士が来た」とのこと、ほどなく救急士の到着。女性はまだ自力では立てないが救急士の介添えで簡易椅子に座る。自分は荷物を渡す。ちょうど山手線が来たので乗る。(おばさんは救急士に「付き添おうか?」と言っていた。黒コートのサラリーマンとちょんまげの兄さん、そして俺はなぜか目線も合わせずに電車に乗る)

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《問題点》
(1) 原宿までの駅員(特に直前の渋谷)及び車掌が、乗客が大量に乗り込んでもセーブしなかったこと。
(2) 車内が息苦しくなったときに、窓が全く開かなかったこと。
(3) 原宿到着時に扉が開かなかったのにもかかわらず、車掌は開けようともしなかったこと。
(4) 乗客が大量に乗り込んでいたため、原宿駅では脱線(横転)の危険性が充分にあったこと。またそれに対して原宿駅員及び車掌は放送による誘導をしなかったこと。
(5) 車掌が安全よりも運行を優先したこと。
(6) 原宿駅員は倒れた女性に対してほとんど対応していないこと。
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正直アレから時間がたっていますが、まだ息苦しさが残っている。正直、下手したらえらいことになっていたかも知れない。だが、やはり、安全性の重視ではなかったのかと怒りが収まらない。

体制的な問題もあるかもしれないが、組織がしなければいけないこともある。だが、個人で判断して動く必要がある部分もある。乗客ができたことが、JR職員ができないことは無いはず。なぜできなかったのか。羽越線の脱線の事故は知っているはず。なのに、なぜ安全性の優先ができなかったのか。

正直JR職員の対応は安全のため、というのではなく、運行を正常化するため、の対応でしかない。

そんな怒りとともに、もう会うことは無いだろう乗客の方々達に御礼を。

プラットフォーム側の窓際にいた男性、貴方がドアを開けなければ何より自分もどうなっていたかわかりませんでした。
女性の頭元にいたおばさん、日本人の善意を感じました。
眼鏡のお兄さん、冷静な誘導の指示でした。
ちょんまげのお兄さん、自分が何もできない中、一番冷静に対応してました。
過呼吸を防いだサラリーマンの方(もしかしたら上記ちょんまげのお兄さんかも)、自分の意識では、「専門でない人が過呼吸と判断するのは良くない」と思っていました。正直家庭の医学を読もうという気にさせられました。

どうもありがとうございました。自分が何かされたわけではありませんが、何かお礼を言いたかったです。

あと、倒れた女性が明日には快癒することを祈るのみ。
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といった感じの、電車遅延として扱われるであろう、事件をお届けしました。
明日あたりJRに抗議メールを出すようにします。

(俺明日早いのになぁ、夜中まで書いてしまった…)

2 件のコメント:

  • お疲れっ。

    まあ簡単には変わらないから「体質」って言うんだぜ。

    オイラなんか安全方向に振りすぎて、飛行機乗り過ごしちゃったぜっ!

    Anonymous くん さんのコメント, 11:00 午前 に投稿  

  • ども、

    まぁ、そういうもんですわな。だけど、なんと言うか目の前のことに何も手をつけないとか、個人で判断すべきとこもあると思うんですけどね…。

    ちなみに飛行機乗り過ごし(乗り遅れ?)はちょっとちがうかと…(俺も飛行機乗り遅れの経験があるのでよーくわかりますが)

    Anonymous Dandan さんのコメント, 12:39 午後 に投稿  

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