What I think...

2004-03-24

漂泊のヒーロー(著:岡崎由美大先生)を読了。

『水滸伝』や『三国志』という古典から武侠小説まで昇華していった過程がとてもよくわかった、非常に読みやすい本。良かったのでもう一冊別の解説本を買っちまった。

やはりこれを見ると、今見る武侠世界はここ100年くらいで成熟した世界。現在の江湖や武林の世界は大元は『水滸伝』のようなものだが、それが『三侠五義』といった狭義小説や、剣仙小説(『蜀山剣侠伝』も含むと思う)を経て、現実の人間が気功を使った武術を使う今ある形になっている。

それを思うと、武侠の世界は決して浮世離れしたものではなく、西洋のハイファンタジーのような剣仙小説の仙人のような登場人物から現実の人間に近い侠客や剣客にフォーカスが移ったものであり、読者の感情移入がしやすくなったと思う。

映画『グリーンディスティニー』で例えばシネスケ映画批評何か見るとやっぱり賛否両論で否定意見を出している人は、「跳ねてる」とか「ワイヤーアクションがちょっと」「現実的じゃない」というのを良く見る。他の武侠映画でもワイヤーアクションが嫌い、という人がいたり。

「ワイヤーアクション」ってのは手段であって、別に「CG」でも何でもいい(※1)んですよ。こういう長い歴史で積み上げていった世界に浸れるかどうか、それをただ単に手段である「ワイヤーアクション」ってところで躓いてこのジャンルを見ない人とは、もう多分友達になれない(※2)でしょうね。まぁ、私のような若輩者が語るには早いですが、こう思いました。

まぁ、それはそれとして、また武侠の世界に浸りたくなった訳で、金庸、古龍だけではなく、梁羽生(金庸、古龍と並ぶ武侠小説御三家の一人であり、金庸と同じ新聞社の記者だった。先に執筆している。ここら辺はこの本に経緯が載ってます)や王度廬(「臥虎蔵龍」を含む「鶴鉄五部作」の作者)の作品など、まだまだたーくさーん本はあるのでどんどん訳して欲しいです。市場的に無理かな…。

※1:「ワイヤーアクション」か「CG」が良いかはこの際置いておく。ただ、現在のCGやこれからのCGでも、まだ人間のアクションには適わない(技術的はもう大丈夫で、表現力として)という点で「ワイヤーアクション」の方が武侠世界を*表現できている*。もっと言うと、ジェット・リーやドニー・イェンのようなプロ級の武術者の表現が出来ない、か。これは思うところがあるから、いずれ。
※2:ハリポタのようなファンタジーの魔法やStarWarsのワープは何の違和感も無く見れるのにね…。あ、ちなみに誰か個人のことは言っていません。あしからず。

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